古代エジプトは、第1王朝(紀元前3125年)から、マケドニア人のクレオパトラ7世の自殺(紀元前30年)までの、3095年間をいうが、そのあいだ約32%が外国人から支配され、紀元前945年からエジプト人が支配することはなく、紀元後においても1922年までエジプト人が支配したことはなく、その点で外国人支配が長いギリシャに似ている。 【エジプト人支配の初期=2850年間】 ①王朝前 =BC4500~BC3125(1375年間)・・・農耕・牧畜集落と新石器時代で、集団墓地の習慣があった ②01王朝 =BC3125~BC2890 (225年間)・・・上エジプトのナルメル王が統一した初期王朝 ③02王朝 =BC2890~BC2686 (204年間)・・・泥を使った煉瓦の墓が作られていた ④03王朝 =BC2686~BC2613 (073年間)・・・シナイ半島の石灰石を使って、初めてピラミッドを建設した ⑤04王朝 =BC2613~BC2500 (113年間)・・・交易が盛んになり、ギザに巨大ピラミッドが建設された ⑥05王朝 =BC2500~BC2345 (155年間)・・・太陽神殿が重要とされたがピラミッドとともに衰退した ⑦06王朝 =BC2345~BC2181 (164年鑑)・・・州候や上級官吏の力が増大した ⑧07-10王朝=BC2181~BC2134 (047年間)・・・各地の州候の群雄割拠の時代 ⑨11王朝 =BC2134~BC1991 (143年間)・・・州候によりエジプトが再統一され行政機構を整理した ➉12-14王朝=BC1991~BC1650 (341年間)・・・共同統治が始まる
【外国人支配=80年間】 ⑪15-17王朝=BC1650~BC1570(80年間)・・・シリア・パレスチナが起源のセム語系のヒクソス王朝が支配したが、クレタ島に定住した正体不明の民族とも言われる。
【エジプト人支配の最盛期=625年間】 ⑫18王朝=BC1570~BC1295(275年間)・・・エジプトのナポレオンと言われるトトメス3世の全盛期 ⑬19王朝=BC1295~BC1189(106年間)・・・ベル・ラムセスに共同墓地的な王家の谷を建設した ⑭20王朝=BC1189~BC1070(119年間)・・・リュビア人と海の民連合に侵略される ⑮21王朝=BC1070~BC0945(125年間)・・・上エジプトが、リビア系の将軍の支配下に入る
【紀元前の外国人支配=915年】 ⑯22-24王朝=BC945~BC747(198年間)・・・隣国のリビア人による王朝で北イスラエル王国を滅ぼす ⑰25王朝 =BC747~BC656(091年間)・・・ヌビア地方のクシュ人王朝(現スーダン)に支配された ⑱26王朝 =BC656~BC525(131年間)・・・新アッシリア帝国(934-609)による王朝でユダ王国を破る ⑲27王朝 =BC525~BC404(121年間)・・・アケメネス朝ペルシャ(550-330)による王朝である ⑳28-30王朝=BC404~BC343(061年間)・・・一時的なエジプト人王朝 (21)31王朝 =BC343~BC332(011年間)・・・アケメネス朝ペルシャ王朝による一時的な王朝である (22)32王朝 =BC332~BC323(009年間)・・・アケメネス朝からアレクサンドロス3世に譲渡された (23) =BC323~BC030(293年間)・・・マケドニア人によるプトレマイオス朝だが、クレオパトラ7世が自殺し、オクタビアヌスによるローマ帝国の支配となった |
A4版を読む前に |
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【なぜ巨大ピラミッドが建設されたか】 ㋑もともと砂・粘土・煉瓦により墓を作る習慣があったものが発展して、出来たものである。 ☞カイロ近郊のギザには、有名なスフィンクスと巨大ピラミッドが三基あるが、突発的に出てきたものでない。もともと「集団墓地」を作る習慣があり、約2000年の間、日干し煉瓦により階級の差を反映しながら長方形の墓(マスタバ)が作られていたもの。 ㋺モザンビークからイスラエルまで「大地溝帯」があり石灰岩が大量に採れたので、巨大ピラミッドの建設を可能にした。 ☞第3王朝のサナクト王(BC2686~BC2668)の時代に、「大地溝帯」の中心のシナイ半島から石灰石・花崗 岩を含む鉱物資源の採掘が始まったので、ジェゼル王(BC2668~BC2649)に時代に、カイロ近郊のサッカラで初めて、石による階段ピラミッドが作られた。 ☞BC3000頃のチグリスユーフラテス川下流のメソポタミアでは、大地溝帯から外れているので、土泥しかなく石灰石は存在しないので、巨大ピラミッドは建設できなかった。神殿に付随して建設されたジッグラトは、日干し煉瓦を階段状に積み上げて建設した。これらは階段ピラミッドに分類される。 ㋩カイロ近郊のギザにある3大ピラミッド ☞スネフェル王の子クフの王(BC2589~BC2566)、カフラー王(BC2558~BC2532)、メンカウラー王(BC2532~BC2504)が建設した。 ☞その後、高度な技術と資金を必要とする巨大ピラミッド建設は衰退し、石から煉瓦造りによるピラミッド建設に代わり、王の祖先である太陽神ラーを祭るための神殿が建設された。 ☞死後、ラーと王権の一体性が第一義的な目的で、太陽神殿とピラミッド複合体は経済的に密接に結びついており、ともに王に葬祭を支える重要施設として建設が続けられた。しかし、王権の側がラー以外の諸神の信仰をも重要視するようになっていき、ホルス神の父の冥界の神オシリス神は王の復活の思想にかかわる重要な神として重要性を増した。 ☞BC2500頃からミイラを作った理由・・・ジェゼル王の時代に保存の効く石による墓が建設されたので、死者の魂の受け皿として考案され、一般庶民にも広まった。 【なぜ、イスラエルとの交戦が多かった】 ㋑旧約聖書の話 ☞BC1479・・・ハトシェプスト女王(BC1479~BC1458)が、モーゼを拾った?ともいわれる。 ☞BC1280・・・モーゼとアロンが、パレスチナに移動したする
㋺イスラエルへの侵略 ☞BC2477・・・第5王朝のサフラー王(BC2491~BC2477)は、レバノン、パレスチナやリビュアへの遠征を行った。 ☞BC1524・・・トトメス1世(BC1524~BC1518)が、ミタンニ王国に楔を打つために、ユーフラテス川を渡る最大の浅瀬がある場所であるカルケミシュを支配し、他方、ヌビア地方も支配した。 ☞BC1457・・・トトメス3世(BC1479~BC1425)は、メギドの戦いでミタンニ王国カナン連合反乱軍を降伏させ て、支配を維持した。 ☞BC1212・・・ラムセス2世(BC1279~BC1212)がカデシュの戦いでヒッタイトの侵略を押さえた。 ☞BC0922・・・リビュア人のシェションク1世(BC943~BC922)は、再度、支配するためにユダ王国に侵攻し、破壊した。
㋩リビア・スーダンへの侵略 ☞BC1285・・・セティ1世が、リュビア、ヌビアの侵略をした。 ☞BC1155・・・ラムセス3世(BC1186~BC1155)は、ペリシテ人と海の民連合軍に勝利したた。
【なぜ、エジプトにギリシャ風ヘレニズム文化が】 ① プトレマイオス朝の初代ファラオのプトレマイオス1世(BC367~BC282)は、BC305に私財を投入して、アレクサンドリアに王立博物館(Museumムセイオン)と図書館を作って、自分がこれから支配するエジプトの文化振興に努めた。 ② マケドニア領となってしまい衰退したアテネから、学者・芸術家をアレキサンドリアに出稼ぎさせた。 ③ アレキサンドリアは、土地が平坦で沿岸航行や入港の際に陸標となるものがなく、ファラス島に高さ134㍍の大灯台を建設した。しかし、AD14に2度の地震で崩壊した。 ④ プトレマイオス朝崩壊後の、ローマ帝国支配下でもムセイオンは存続したが、キリスト教信者のテロにより破壊された。新アレクサンドリア図書館はAD2002に新築された。 ⑤ プトレマイオス1世が文化振興を行った理由。 ☞プトレマイオス1世は、アレキサンダー大王(BC356~BC323)の「学友」で、軍隊で側近護衛官であった。 ☞大王の父であるマケドニア国王ピリッポス2世(BC382~BC336)は、哲学者アリストテレスを招いてミエザの学園を開き、大王とプトレマイオス1世達に教育を施した人物だった。 ☞このようにマケドニア国王ピリッポス2世は、軍人教育だけでなく文化教育も行ったので、息子の友人へ重要な影響を与え、王立博物館が作られた、といわれる。 ☞ヴェルディは、紀元前250年頃を想定して、オペラ「アイーダ」を作曲したが、エチオピア側は、クシュ王国を想定しており、エジプト側は、文化振興に積極的だったプトレマイオス2世の時代を想定したのか、、 【古代エジプトには近親婚が多いのに、なぜ、その子供に悪影響が出ていないのか】 ㋑神であり王である「ファラオ」を維持するには、平民との結婚は許されず近親婚が必要だった ㋺その後、ファラオの暗殺があり、後継者を絶やさないために共同統治が必要になり、近親婚に拍車をかけた ㋩有名なツタンカーメン王の足の形が変則的であるが、悪影響とも言われている、、、 ㊁マケドニア人のプトレマイオス朝(BC323~BC030)で近親婚により悪影響がでていないことの系図と、クレオパトラが混血であったのかどうかに関する系図分析が下記のPDFでできます。 |
A4版(PDF) |
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このPDFを出力して劇場に持参し、各幕前に読んで頭に入れておきますと数倍楽しくオペラをご覧いただけます。(上演中は周りの方々にご迷惑とならないようにお願いします。) 詳細の資料はこちらからダウンロードできます。 egypyt2.pdf 「引用」 |