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【民族】 ㋐トロイ文明(BC2600~BC1200)を興した民族は、東方の民族と言われるが正体不明である。 ☞スパルタの絶世の美女ヘレンは、トロイの王子パリスと不倫をしたため、亭主の出身地ミケーネとトロイの間で戦争が起きた。 ☞トロイが敗北し、ヘレネーを取り戻すが、その責任により義理の甥オレステス様に成敗された。(R・シュトラウスのオペラ「トロイのヘレン」) ㋑クレタ文明(BC2000~BC1400)を興した民族は、正体不明である。 ☞クレタ島の国王ミノスの娘アリアドネは、一目ぼれした敵将アテネ国王テセウスの侵略に協力するが、裏切られナクソス島で捨てられる。 ☞拾う神もありディオニソスにより愛され結婚し、4人の子供を産んだ。(R・シュトラウスのオペラ「ナクソス等のアリアドネ」) ㋒ミケーネ文明(BC1600-BC1200)を興した民族は、アカイア人である。 ☞ミケーネの王のアガメムノンは。トロイ戦争では、ミケーネ軍団の総大将になり帰国した。 ☞しかし、2番目の妻クリテムネストラにより殺され、娘のエレクトラと息子のオレストガ、復讐した。(R・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」) ㋓暗黒時代(BC1200-BC800)を作った民族は、海の民かどうか不明である。 ☞ホメロス、ヘシオドスが口述した時期(BC750-BC700)からすると、取材対象時期は暗黒時代と思われるが、世の中が暗かったとは考えられない。 【ギリシャ人の時代(BC800-BC336)】 ㋐都市国家ポリスが成立していく(BC800-BC500) ☞スパルタ王国、コリントス王国を除いて貴族政治が多いが、アテネでは、クレイステネス(BC508)が民主政治を模索した。 ☞テーバイの国王エディプス王は、母とは知らずに交わり4人の子を産ませた。アテネの王テセウスが優しく迎えてくれたが、耐えきれずに目をえぐり死んだ。(ストラヴィンスキーのオペラ「エディプス王」) ㋑ギリシャ連合は、ペルシャとの戦いに勝利した(BC498-BC479) ☞ペルシャ戦争後、ペリクレス(BC444)の私物化によりアテネの民主政治の試みは失敗し、衰退(BC338)した。衆愚政治と言われている。 ㋒デロス同盟、ペロポネソス同盟を中心にした内戦の時代(BC479-BC336) ☞覇権争いをしている時代に、演劇の祭典ディオニューシア祭(BC499-BC388)で新作が続々と上演されていた。 ☞スパルタ王国の「スパルタ教育」より、テーバイのエパメンノンダス将軍の「愛情教育」の方が強く、スパルタが地盤沈下していった。 ☞マケドニア王国のピリッポス2世は、テーバイで戦術を学んでいた時に改良した、ファランクスのマケドニア版により、BC338にアテネ・テーバイ連合軍に勝利した。 ☞ギリシャの覇権を握り、世界帝国ペルシャに挑もうとしたが、部下に暗殺された。 【マケドニア人の時代(BC336-BC30)】 ㋐ペルシャ帝国に勝利(BC336-BC323) ☞父親が開発した新戦術の遺産を受け継ぎピリッポス2世が開発したマケドニア・ファランクス ㋑分裂後のマケドニアはローマ帝国に敗北(BC323-BC30) ☞セレウコス朝ペルシャ(BC312-BC63)は、ポンペイウスに敗れた ☞アンティゴノス朝マケドニア(BC306-BC168)は、ピュドナの戦いで敗れ、ファランクスによって戦われた最後の戦いの一つであった、 ☞プトレマイオス朝エジプト(BC305-BC30)は、クレオパトラ7世が自殺した。 ☞オリエントとギリシャが融合した「ギリシャ風」文化で、キリスト教と融合した「ビザンティン文化」も生んだ。 |
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